「日航ジャンボ機墜落事故」
から30年になります。
当時のぼくは高校2年生で夏休みの真っ最中。
生まれも育ちも神奈川県だけれど、この日は、たまたま群馬県へと合宿に来ていました。
そして夜のミーティング時に、引率の指導者から事故の第一報を聞いたのです。
合宿場所は、おなじ群馬県内ではあるけれど、事故現場からは遠く、テレビもラジオもない山の中。
何かが見えたとか聞こえたとか、そういうことは全然なくて、とくに影響はなかったけれど、ただ大変な惨事であることだけが人の口から伝えられ、それがかえって、印象に残る結果になりました。
そして下界へ戻ってみると、新聞もテレビも大変な騒ぎで、ジャンボ墜落により、乗客524名のうち死亡者数は520名という、航空史上にない大惨事であることが、しだいに明らかとなっていきました。
事故とは関係ないのだけれど、この時、合宿に来ていたの仲間のうち二人が、その後若くして亡くなってしまい、30年たった今でも、あのときのひとコマが、忘れられない夏の記憶となってよみがえります。
病気で亡くなった彼、自ら命を絶った彼女。
そいつらの分も生きなければと、いま自分は生きている事を実感しつつ、毎年この日が近付くと、事故で亡くなった方に想いを重ね、人の命の儚さを感じずにはいられなくなるのです。
おしまい
空の安全を思う
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さよなら747
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